わかりやすさの悪魔

「わかりやすい」は褒め言葉であり貶し言葉だと思う。

可愛いい子はモテるし、甘いパンケーキはもちろん人気。モノづくりだってそうで、わかりにくい、使いにくいはマイナスポイントにしかならい。

そんな簡単な感情の方がみんなに愛されて大切にされることはわかっている。けど、わかりにくかったて価値はあると思う。正確にはわかりにくい所にまで手が加えられているのに価値があるのかなぁ。

 ビールは苦くたって美味しい、アートは受け入れられる。阿部サダヲだってかっこいい。Instagramよりエッセイの方が面白いでいんじゃない。そんなことを思いながら珈琲の匂いがするため息が溢れる

 

心が青くて情けない

思えば「情」という言葉に思わせた4年間で「人間としてどう?」といった問いに、自分なりの答えを出してきたつもりでもまだまだ満たされないことの方が多くて、まだまだビビってることの方が多くて、脳髄が痛い。

 

そう思えば卒制も「モノに対する情の掛け方・見つけ方」みたいなものが裏テーマであったりしたなぁって。情緒にあふれた言葉を吐きたいなぁってこれもまた情の糸口。初めの話らしい

 

「心が青くて情けない」

未熟でまだなんとも淡い心では済まされないことの方が多くて、もっと深い藍に染まるくらいじゃないといけないなぁって。

 

コミュニティーとセンスに悩まされた昨年からもっと深く落とし込めるような情熱で返せることだけを目指して、論より証拠を言える一年へ

今夜はただの革命前夜

時折、全てを帳消しにして、新しい事を始めたくなる事もある。今回もたぶんそう。

リセットはされない、リスタート。リステップアップの心意気。始めの第一歩、今夜はただの革命前夜。